温泉の成分 泉質別適応症(浴用) 利用形態 川棚温泉の由来 青竜伝説

温泉の成分

成分

源泉名 川棚温泉ミックス泉
泉質名 含弱放射線-カルシウム・ナトリウム-塩化物温泉(低張性弱アルカリ性高温泉)
泉温 (源泉) 42.8℃   (利用場所)43.5℃
温泉の成分 性状 無色澄明、弱塩味、無臭
PH値 7.9
ラドン含有量 37.0×10-10 Ci/Kg
蒸発残留物 1.995g/kg

泉質別適応症(浴用)

きりきず/末梢循環障害/冷え性/うつ状態/皮膚乾燥症/高尿酸血症(痛風)/関節リウマチ/強直性脊椎炎など

利用形態

1.入浴に適した温度に保つため加温しています。(気温の低い時期のみ)

2.衛生管理のため塩素系薬剤を使用しています。

 

川棚温泉の由来

安徳天皇の寿永2年に至って始めてここに温泉が発見されたが、時の領主の平定盛は湯屋を建設し、銭湯を定められ、青竜権現を温泉守護の神とした。

ところが、温泉にも栄枯盛衰があって、鎌倉時代の末期から南北朝時代にかけて騒動が続き、国は大いに乱れ、地方では大内、厚東、豊田などという豪族が相争い、朝には南朝に組し、夕には北朝に寝返り、戦乱が明け暮れ続いた為、住人は塗炭の苦しみを見た。

従って、温泉どころの騒ぎではなく、荒れ放題となって、いつしか埋没してしまった。

応永年間に至って、川棚の三恵寺に怡雲(いうん)和尚という高僧がいました。

この僧は名刹三恵寺の廃退しているのを嘆かれ、これを再興された中興の祖で内日村の出身であった。

師は当時跡形もなくなった温泉を、世の中の多くの病人のために寺領の土民に命ぜられて発掘したものである。

吉永村の庄屋、幸左ヱ門が元文4年に提出した、「地下上申」のなかには、「吉永村の一ノ内と申すは応永年中の頃川棚の湯壷を掘りし時分一番の内に掘出し申し候にフ主一ノ内と申し習わし候由地下人申伝え候」と、あることから、正しくこの怡雲(いうん)和尚 が寺領の土民に湯壷を掘らせたことがわかる。

この和尚は応永20年頃、京都の金閣寺に住ませられた時、三代将軍足利義満の画像に賛せられ、それが国宝になっているから、当時の高僧であったものと思われる三恵寺には、応永24年頃、和尚が晩年再住せられたという以上のような関係から怡雲(いうん)和尚をもって「川棚温泉の開基」としている。

その後、温泉も次第に世に知られ、旺盛したもので、毛利氏の世となってからは、長府藩の毛利綱元が元禄6年に入湯に来られるにあたり、御殿湯を創建し、湯屋庄(永富氏)を置き、お茶屋(益本氏)を定められたものである。

その後、代々の領主が入湯に来られたものであるが、明治4年廃藩置県と共に毛利氏はこれを地元に下附された。

(豊浦町名勝史蹟と由来集より)

青竜伝説

青龍が見守る川棚温泉

大昔一大沼地だった川棚には巨大な青龍が棲んでいましたが、欽明天皇の時代に大地震があり亡くなってしまいました。

里人は哀れに思い青龍権現として祀ると、温泉が涌出したと伝えられています。

その後、川棚温泉は三恵寺の怡雲(いうん)和尚によって中興されました。

 

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